阿伏兎観音

阿伏兎観音の歴史

 

 福山市南部に位置する沼隈半島南端の阿伏兎岬は、険しい海食崖により生み出された奇勝として知られ、岬の突端の断崖に建つ朱塗りの阿伏兎観音堂は国の重要文化財です。

 阿伏兎観音堂は985年(寛和年間)、花山法王が十一面観音石像を祀り、航海の安全を祈願したのが始まりとされています。現在の観音堂は、1570年(元亀元年)戦国武将毛利輝元が大檀那となって堂を建立したものです。観音堂の建坪を岩肌いっぱいにとり、縁を軒より張り出させています。

 その美しさは古くから歌川広重の浮世絵「六十余州名所図会」、川瀬巴水の風景版画などの絵画の題材に多く取り上げられています。また日本を訪れた朝鮮通信使の残した文献などにも紹介されており、志賀直哉の小説『暗夜行路』にも登場します。


©️福山観光コンベンション協会

阿伏兎観音

 

住所 〒720-0312 福山市沼隈町大字能登原

時間 8:00~17:00

休日 無休

料金 中学生以上100円、小学生50円

TEL 084-987-3862

交通 JR福山駅南口からトモテツバス新川線・松永駅南口からトモテツバス沼南線(時刻表

   「阿伏兎観音入口」下車 徒歩15分(トモテツバス TEL 084-952-3700)

駐車場 普通車4台・無料

子授け・安産祈願所としても有名

 

 阿伏兎観音は昔から航海安全、また子授け安産の祈願所として長く信仰され続けてきました。

 現代においても海難除け・子授け・安産の観音として広く信仰を集めており、女性の乳房の形をした絵馬が多数奉納されています。


能登原(のとはら)地名の由来

 

源平合戦のとき、屋島(香川県高松市)を追われた平家の一団がこの地に逃れてきました。この一団の大将であった能登守・教経(のりつね)が「この地はなんというか」と尋ね、村人は「名はありません」と答えたそうです。すると教経は「それでは余の名を与えよう」と言い、それからこの周辺を”能登原”と呼ぶようになったと言われています。

 

能登原での源氏との合戦の際、武将の能登守・教経が、見張りに「田島(内海町)から白幡が押し寄せてくる」と知らされ、白幡めがけて矢を射ました。しかし、手ごたえが無く、よく見ると白幡と思ったものは白鷺だった、という言い伝えもあります。

弓掛松

ここで繰り広げられた源平合戦のときにこの松に弓を掛けたと伝えられていますが、昭和38年に枯死し、切り株のみ残りました。

千年藤

高倉上皇が船で宮島の厳島神社に参った帰りに岸に咲く藤の花を見て、大納言・隆季(たかすえ)に命じ花を持ち帰りました。隆季は「千とせ経む 君がよはいに 藤波の 松の枝にも かかりぬるかな」と一首詠んだそうです。以来、この岬の藤は「千年藤」と呼ばれています。